西へ南へ 目指せ本土最南端

目指せ本土最南端 地図

はじめに

 98年の夏は、仕事の都合で、徳島県阿南市にいました。
 そこで、まだ、行ったことのない南九州へと旅立つこととした。

1日目(8/12)国道与作

 前日までに何も旅支度をしていなかったので、朝からバタバタと荷造りしていて、ゆっくりとした出発となった。
 出発したときには、佐田岬から九州へと渡るつもりで、とりあえず、小松島から内陸へと向かい、国道439号線、通称与作へと入っていった。
 しかし、出発が遅かったために、その日のうちに佐田岬まで行くことは無理だと思い、かねてから暖めていたプランの与作全線踏破へとルートを変更することとした。

与作

国道与作

 与作は、ある意味では四国を代表する国道ということができる。
 現在、与作のあちこちで改良工事が行われているものの、上の写真のような道が与作の典型的な道である。
 この日は、結局与作を走り来ることが出来ないで、大正町にある四万十川沿いのキャンプ場に泊まることとする。

2日目(8/13)九州上陸

 この日は、とりあえず与作を土佐中村まで走り、そのあとは、どこに行くか決めていなかったのでとりあえず足摺岬へと向かう。
足摺で、地図を見ていると宿毛から大分県の佐伯へフェリーがでていることに気付き、これで、当初の計画通り九州へと渡ることにする。
 あとで、本を見ていて気付いたことなんだけど、足摺岬は、さだ岬とも呼ばれていて、当初の計画の二つのさた岬を結ぶ旅という計画の一つ目はクリアーできたことにしよう。

3日目(8/14)本土最南端

  佐多岬に行く前に、都井岬にちょっと寄り道する。地図には、都井岬へと行く道は、バイクは無料と書いてあったけど、料金所に行ってみると100円取られてしまうし、パンフレットはくれないし。都井岬で、灯台と岬馬を見物してから、再び南下再開。
 志布志湾を回り込み、佐多岬へと向かっていると宇宙空間観測所の看板が目にはいる。寄ってみたいなぁという衝動に駆られたけれど、ここに寄ってしまうと、今日中に佐多岬へとたどり着くのは難しそうなので、今回は、涙をのんでパスし、次にこの辺りに来たときは必ず寄るぞと心に誓い、後ろ髪を引かれる思いで走り続ける。
 この旅を思いついたきっかけは、旅に出る直前にシェルパ斉藤さんの「行き当たりばっ旅」を読んで、その中で佐多岬へとリアカーを届ける旅のことが乗っており、何となく行きたいなぁと思っていたからである。その本の中には、佐多岬へと続く、佐多岬ロードパークウェイは自転車は通ることが出来ずバス、タクシーなどを利用しないと行けないということやったけど、実際にいってみるとなぜかチャリンコが岬の駐車場まで来ていた。以前から、よく感じていることやけど、日本の道は、なぜ、車のことしか考えていないんやろう。例えば、有名なところでは、白山スーパー林道なんかそのいい例だと思う。あの辺りは、険しい山が多くあるので、あの道を通らなければ大きく迂回することを強いられる。なのに、バイクは通ることが出来ないとういうのは納得できない。確かに、ワインディングロードで、暴走し、自爆するのは多いかもしれないが、一般のバイクまで閉め出せばいいというのはおかしいと思う。4輪がどんなに暴走行為をしても決して4輪通行止めとはならないのに・・・。

佐多岬

本土最南端 佐多岬

 佐多岬からの眺めは少し霞んでおり、種子島や、開聞岳はかすかにしか見えなかったけれど、ぐるりと見える水平線と南国ムードを堪能する。佐多岬の展望台には、これから日本縦断の旅に出る人のメッセージが多く壁に書かれていた。これから旅に出るという決意を形に残したいという気持ちは分からないでもないが、そうやって誰かが書くと、全くの悪戯の落書きを呼び寄せることとなり、全体として、単なる落書きになってしまっているのが・・・。

神川キャンプ場

大根占町 神川キャンプ場

4日目(8/15)もう一つの半島

 今日は、まず、桜島を目指し、北上する。
 桜島では、山の北側を走る県道で、フェリー乗り場へと向かう。
桜島に近づくにつれ、顔に砂粒のようなものが顔にプツプツと当たり出す。これが、噂に聞く、桜島の火山灰かとどうでもいいことに感激しながら、埋没鳥居を過ぎたあたりで顔に何か当たりだしたなぁと思っていると、にわか雨が急に降り出したので、農作物の集荷場の軒先へバイクごと飛び込み雨宿りをする。本当は、その道沿いで多く見かけた、防空壕のような、コンクリート製のたぶん噴火したときの火山弾から身を隠すためのシェルターで雨宿りをしようと探したけども、雨の勢いがきつすぎて手近なところで妥協してしまう。雨がやんでから、湯の平展望台へと向かうが、残念ながら、さっきの雨雲がまだとれておらず桜島は姿を見せてはくれなかった。
 鹿児島市内は、特にどこにも寄らず、錦江湾沿いに指宿を目指す。途中喜入の巨大な石油基地を見ながらひたすら南下。指宿を目指すといっても、指宿では止まらずに長崎鼻へ。長崎鼻からは、開聞岳の綺麗な円錐形に見とれ、霞んだ、佐多岬を眺める。残念ながら、屋久島は確認することは出来なかった。
 長崎鼻から開聞岳の北側を通り、少し内陸に入り池田湖にイッシーに会いにいく。しかし、残念ながら、イッシーは姿を見せてくれなかったので、再び、東シナ海側に戻り、国道を枕崎市から坊津へと向かう。秋目湾は、鑑真和上の上陸地らしく、それを記念した祭りがちょうど行われているようで、そのことを示すのぼりがあちこちに立つ。この、のぼりの横を走っていくと、007のロゴが目に入ったののその前で止まる。その、記念碑の前で、休憩がてら記念写真をパチリ。

007

「007は二度死ぬ」ロケの記念碑

 坊津からは、野間崎、吹上、伊集院を通り今日のキャンプ予定地のある蒲生町へ。住吉池公園キャンプ村の受付へ行くと、今日はすいてるので、持ち込みテントの料金で常設のテントを使っていいと言われたので、その言葉に甘えることにする。久しぶりの広い空間でノビノビと爆睡する。

5日目(8/16)林道三昧

 この日は、まず、霧島へと向かうこととする。
 霧島に向かう途中で、道端に坂本龍馬の文字が見えたので、その看板の前へとUターンする。
そこは、塩浸温泉で、坂本龍馬とお竜さんが湯治したところと言うことだった。坂本竜馬が、寺田屋で、襲われたあと薩摩へと傷を癒しに来て、後に、日本初のハネムーンなどと言われていることは知っていたけど、今回の旅は、特に竜馬は意識せずにルート取りしてきたのに不意に竜馬ゆかりの地が現れたことに感激する。残念ながら、まだ時間が早くて温泉には入ることは出来なかったけど。
 霧島温泉郷エリアに入ると、急に硫黄臭が立ちこめてくる。いかにも温泉地という感じで、道端には、蒸気が噴き出しその辺りの木が白く立ち枯れているような場所もある。温泉街から、霧島スカイラインで、標高を上げていくと徐々に辺りに霧が立ちこめてくる。それまで、好天だったので、サングラスをかけたまま走っており、止まるのがめんどくさかったのと、夏は、やっぱりサングラスでしょうと意味もなく意地になってかけたまま走っていたけど下の写真の場所で、とうとうサングラスをかけたままだと前が見づらくなったのであきらめて、バイクを止めることとなる。

霧島

霧の霧島バードライン

 霧島からは、バードラインでえびの市へと下り、白髪狗留孫林道へ。今回の旅では、ここまでは、すべて、オンロードコースだったので、今日はなるべく林道を走り継ぎ、九州の林道を走り継ごうと決める。白髪狗留孫林道のえびの側の入り口は、クルソン峡と呼ばれているらしく、地元ナンバーの車が多く入ってきてバーベキューなどを楽しんでいたので、石をはねたりしないように大人しく走る。ところで、クルソンってどういう意味なんかなぁ。九州だけに、クルソンっていう宣教師でもこの山に隠れ住んでいたのかなぁ。
 この林道は、フラットダートで、非常に走りやすい。温迫峠へとダートを上っていくと、前にランクルが走っている。林道で、ああいう大きな車に会うと抜きにくく苦労するからいややなぁと思っていると、すぐに道を譲ってくれ、良かった良かった。峠に着くと車が一台止まっていて、その運転していた人と話すと、私が来るのを知っていたという。何故かと聞くと、さっき抜いたランクルとは仲間で、無線で情報が入っており、峠まで追いつかれないようがんばって走っていたということだった。温迫峠からは、榎田大川筋林道で下る。
 榎田大川筋林道の出口で、進路を西に取り、小白髪岳峰越林道へと進む。ここも、超が付くほどのフラットダート。だいたい、山深いエリアの林道に行くと、林業が盛んなだけによく整備された林道が多いように思う。まぁ、今回は、リアタイヤが完全にすり減っていわゆるボーズと言う状態だったので、これぐらいのフラットダートの方が都合が良かったけれど。この林道を抜けると多良木町で、ここは、小学校の時一番仲の良かった友達が引っ越した先で、高校の頃までは、年賀状の交換ぐらいはしていたけれど、それもいつの間にかなくなり、今はどうしているのかなぁと懐かしく思う。そのころの年賀状では、バイクに乗っていると言うことだったので会いたいなぁと思ったけど、連絡先も持ち合わせてなかったのが残念。

小白髪岳峰越林道

小白髪岳峰越林道の峠

 多良木からは、国道265号を北上し、上椎葉ダムで国道から離れ、九州一のロングダートと地図に書いてある椎葉−内大臣林道へと進む。この道は、よく雑誌なんかでも耳にしていたので一度走ってみたいなぁと思っていた。実際に走ってみると、この道も超フラットダート。地図には、椎矢峠から北は荒れが目立つとのことだったけど、このときはそんなこともなく快調に走り抜ける。

椎葉−内大臣林道

椎葉-内大臣林道(椎矢峠)

 内大臣林道を抜け、北へと進路を取っていると、通潤橋の文字が目に入る。雑誌やテレビなんかでは、目にしたことはあったけれど、九州にあるとは知らなかったので、これは、ラッキーと寄り道することにする。
 本当は、もうぼちぼちいい時間になってきていたのでキャンプ地を探そうかと思っていたけど、これを寄らないと後で絶対悔いが残るだろうと思い寄ることにした。通潤橋と言えば、橋の真ん中から豪快に水を放水しているイメージだが、あれは、観光用に時間を決めてやってくれているようだけど、このときは、その時間から外れていたので木栓の隙間から水がチョロチョロ流れているだけだった。今度来るときは、その放水する時を調べて、その時間に会わせてこようと思う。それと、ここに来て思ったのは、通潤橋ってもっと人里離れた山奥にあるのかと勝手に想像していたけど、実際は、結構人家の多いところにあるのに驚く。でも、よく考えると、あれだけの橋を造るんやから、当然近くに人が多く住んでるのは当然か。
 通潤橋を見物した後清和村のキャンプ場へと進む。このキャンプ場は、モトクロスコースがMTB用と普通のコースの二つも敷地内にある。暗くなるまでまだ時間があったので、荷物を下ろしそのコースを回って遊ぶ。でも、普通のコースは、アップダウンが結構あって私の腕では、難しすぎたので一周しただけで、後は、MTB用のコースで遊ぶ。

通潤橋

通潤橋

6日目(8/17)阿蘇から阿南へロングラン

 清和村からは、清水峠を越えて、阿蘇の外輪山の中へと入っていく。残念ながら、阿蘇山は厚い雲に覆われ、清水峠からはその姿を見せてはくれなかった。白水側から阿蘇へと登っていく。7時半頃に阿蘇の火口へと向かう有料道路の入り口に到着し、通れるようになる8時まで缶コーヒーを飲んで時間をつぶす。料金所のおっちゃんに今日は、雲がかかっているので火口は見えないかもしれないよと言われるがとにかく火口へと向かう。実は阿蘇に来るのは二度目で、前回来たのは中学の修学旅行の時で、そのときは阿蘇の火山活動が活発になっていたので草千里までしか来ることが出来なかった。そんなことがあったので、今回は何も見えないとしてもとにかく火口に行きたかったのである。で、修学旅行に阿蘇方面に来たときに、対向車線を走るツーリング中のバイクを見て憧れを抱いていたことが、今のこういう趣味に繋がるんかなぁ。
 話を戻して、阿蘇の火口は、案の定雲に覆われておりほとんど見えなかったが一瞬風が吹いたときにそのガスの切れ目から火口の底が見えた。これで、何とか目的を達したことにして、阿蘇を下り出す。草千里によって一服入れようかと思ったけれど草千里は深い霧の中で、道路上を歩く馬などにぶつからないように気をつけてゆっくりと走り抜け、米塚へと向かう。米塚は、以前アウトライダーの写真を見て、綺麗なお椀を伏せたような形に惹かれて、一度、この目で見てみたいと思っていた山だ。
 阿蘇からは、やまなみハイウェイで湯布院を目指す。やまなみハイウェイを快調に走ると、やがて由布岳が目に入ってくる。あいにく、由布岳も山頂付近は雲がかかっており、その全貌を現してくれなかったが、この麓が有名な温泉地湯布院だ。まず、JR湯布院駅に行き、観光案内所で観光マップをもらい温泉につかりに行く。最初に見つけた風呂は、鍵がかかっていて入ることが出来ず、他を当たることにする。次ぎに行ったのが、ツーリングマップルにも載っている混浴露天風呂の下ん湯。入浴料を入り口のところにあるポストに入れ、こんなに周りに観光客がウロウロしているところに女の子が入ってなんかないことは分かっていながらも混浴の文字に惹かれてはいっていく。ゆっくりと湯に浸かり、ここまでの疲れを癒し、今日はまだまだ走らないといけないので、気力を充電する。そういえば、温泉天国九州をここまで走って、まともな温泉に入ったのは、これが初めてやなぁ。
 湯布院からは自衛隊の広大な演習地の脇を走り安心院町方面へと進む。この演習地では、あちこちにモトクロス禁止などの看板が目に付く。ツーリングマップルにもダート天国なんて書いてあるところを見ると、結構入り込んで走り回っているんやろうなぁ。ところで、安心院っていわゆる難読地名ってやつで、これをどうすれば「あじむ」と読めるんやろう?安心院から、院内へと入り少し行ったところで、にわか雨に見舞われ、道端に生えていた大木の木陰に逃げ込みしばらく雨宿りしてから本耶馬渓町へ。耶馬渓の耶馬って邪馬台国となんか関係あるんかなぁ。字はちょっと違うけど、邪馬台国九州説があるくらいやしなぁなどと考えながら、走り抜ける。耶馬渓からは、周防灘と平行に走る国道10号線を北上していると、行橋市に入ったあたりで、目の前を戦闘機が飛び去っていく。近くに自衛隊の基地があるようだ。そのままどんどん北上し、門司からは関門トンネルへと進む。関門トンネルの入り口にはふぐの絵が描かれており、さながらふぐの胃の中へと入っていく感じである。

河豚

河豚の腹の中へ(関門トンネル)

 今回の旅では、九州では高速を使わないで、下道ばかりを走ると決めていたので、ここまでは、下道(一部有料道路はしよう)を走り続けて、九州から脱出したので、ここからは高速で一気に帰路につく。今日は、少し天候が不安定になっていたので瀬戸大橋では、横風が結構強く、少し怖い思いをしながらも下道300kmプラス高速500kmの合計800kmを一日で走りきり、阿南にたどり着いた頃には、手のひらが痛くて・・・。
 あー疲れた。

おしまい

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